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徳川家康に学ぶ「関ヶ原の戦い」でのリーダーシップ

歴史秘話ヒストリア 戦国武将編 二 徳川家康 つらい時こそ一歩前へ!~ボクの人生どこへ行く?家康の決断~
『歴史秘話ヒストリア 徳川家康 つらい時こそ一歩前へ!』

 
戦国時代の終わりを告げた関ヶ原の戦い。

この天下分け目の合戦を境にして、
戦国の時代は終わりを告げました。

 

関ヶ原の合戦への動きは、豊臣秀吉が亡くなってから、始まります。
秀吉が亡くなった当時の豊臣家の跡継ぎであった豊臣秀頼は、まだ6歳でした。

秀吉は亡くなる間際に、秀頼の後見人に徳川家康を指定しますが、
その通りにはなりませんでした。

 
そして、秀吉の死後から2年後に、
天下分け目の合戦、関ヶ原の戦いは始まります。

それぞれの軍勢は、
東軍の徳川家康85,000人
西軍の石田三成80,000人
という戦力的にはほぼ拮抗した状態でした。

さらに、戦場の地形の有利不利を考えると、
「西軍のほうが有利」というものでした。

天下分け目のリーダーシップ

ほぼ戦力が同じだった東軍と西軍。
天下分け目となった要因はなんだったのでしょうか。

 
それは、人を巻き込むリーダーシップです。

 

合戦当初、関ヶ原の合戦は、西軍が有利だったと言われています。
有利だった点は、西軍が戦場の地形をうまく利用した為でした。

このまま西軍有利のまま戦況が進むかと思われましたが、
戦況の変化が訪れます。

変化の要因は、一部の大隊が兵を動かさなかった為です。
これらの隊は、なぜ兵を動かさなかったのでしょうか。

一部の隊が兵を動かさなかった理由

兵を動かさなかった隊には、
・島津隊
・毛利隊

などがいました。

まず、島津隊は、「石田三成が使者が下馬しなかったため無礼だ」ということで、
兵を動かさなかったのです。

石田三成の人心掌握の失敗の一つの例でしょう。

相手への尊敬の念を表現出来なかった為に、
信頼関係を壊してしまったのでした。

 

一方、毛利隊が兵を動かさなかった理由は、
隊の中に、徳川家康と内密の関係だった者がいた為でした。

毛利隊の先頭を率いていた武将の吉川広家は、
戦闘に参加することに反対して、毛利隊全体の動きを阻害しました。

その結果、西軍は毛利隊1つ分の戦力を使えなくなります。

 

これら石田三成の人心掌握の失敗と徳川家康の根回しにより、
石田三成の西軍は、段々と不利な情勢になって行きました。

そして、最後には東軍の勝利で、
関ヶ原の合戦は終わりを迎えたのでした。

徳川家康に学ぶリーダーシップ

ビジネスの現場でも、結果が求められる場面があります。
戦場とまではいきませんが、ここ一番の大勝負があるわけです。

その際に、大事になるのは、
人の心を掴んで、全体を巻き込むリーダーシップではないでしょうか。

その点、徳川家康は「関ヶ原の戦い」で、
根回しをし、多くの人を巻き込むリーダーシップをみせました。

 
どの職場にも、人の心を動かすことが上手い人が、
いらっしゃる事と思います。

 
「この人と仕事をしていると、不思議と協力したくなる」

 
こんな事を感じる人がいるものです。
この違いはどこから生まれてくるのでしょうか。

ビジネス心理学の「自己重要感」を重要性

ビジネス心理学の世界では、人心掌握術の1つとして、
「自己重要感を満たす」という言葉があります。

この言葉が意味する所は、
「相手の事を重要な人物であると認めること」です。

 
認められた相手は、その期待に答えようと、
協力的に仕事を遂行してくれるようになるでしょう。

ついつい、協力したくなる人は、
人の自己重要感を満たすことが、とてもうまいのです。

 
NLPに限らず、色々なビジネス心理学がありますが、
どのビジネス心理学でも、「自己重要感」は大事にされています。

一人でできることとは限られています。
ビジネス心理学の「自己重要感」をうまく満たすことができることで、
ビジネスでも、普段の生活の中でも、
自分が求める結果を得ることができるでしょう。

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